麻生首相が漢字を立て続けに読み間違い、今や自民内部からも飽きられ気味になっている。
しかしこの問題はただ単に漢字を読み間違えたということにとどまらない。もし未来の人がこの事件を振り返ったとき、当時の日本人は狭量だなぁ、とか思われたら困るのでここにその顛末を自分の理解の仕方で記録しておきたい。この事件は3つのステージに区切ることができる。
第一段階
参議院の国会答弁で麻生首相が「河野談話を踏襲します」の踏襲を「ふしゅう」と読み間違えた。このときの映像がYoutubeにアップされ、ネットではプチ祭りになる。この時点ではまだ、マスコミは取り上げていない。自分もこのときは面白がって「ふしゅう」は「俯就」だなどとして、記事を書いたりしていた。
第二段階
「村山談話を踏襲します」の踏襲を再度「ふしゅう」と読み間違う。この時点でマスコミが一斉報道開始。麻生氏は外務大臣時代にもどうようの読み間違いをしていたことが明らかになる。ネットでは祭りになり、その他も数々の読み間違えも取りざたされる。しかし、この時点では政治家からのこの問題に対する発言はなかった。
マスコミの記者が、麻生氏に「最近漢字の読み間違えが多いようですが?」との質問をぶつける。それに対して麻生氏は「単なる読み間違え、または勘違い」みたいに答える。
このやり取りを一部のマスコミは「麻生氏、踏襲の読み間違えを認める」と報道。しかし自分が知る限り、麻生氏ははっきりと「踏襲」を「ふしゅう」と読み間違えた、とは答えていない。
第三段階
国会答弁で、自民党の山本一太氏が再度麻生首相に「村山談話を踏襲するか?」の質問をぶつける。多分この質問は、この問題を彼なりにはっきりさせたいとの思いでぶつけたのだと思う。それに対し麻生氏の回答「先日申し上げたとおりです」。一太氏はこれ以上つっこめなかった。
当然これでは駄目なのだ。先日申し上げたとおりならそれは「踏襲」ではなく「ふしゅう」になってしまう。自分の感覚ではこの時点で、一太氏をはじめ自民の多くの議員が麻生氏に愛想をつかした。
政治家にとって言葉は命であり、もっとも慎重に言葉を使い、誤解の生じないように努めるはず。直滑降の一太氏もそういう意味で、この言葉をはっきりさせたかったのだと思う。それは多くの自民党議員も同じだろう。
新聞は極力読まないという麻生氏、といいつつホントは読んでるだろう、と思ったら本当に読んでないのかもしれない麻生氏、経営者の面子をかけてどこまで行けるか。