声聞(しょうもん)と独覚(どっかく)

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仏教の修行者が悟りへ向かう2つの方法。聞声とは仏陀の教えを聞く人、つまり仏陀の弟子を意味する。一方独覚は自分で考えて自分で悟りを得ること。仏陀はもちろん独覚だが、独覚はその悟りを説法として一般ピープルには教えてあげない。仏陀は偉いからちゃんと教えてあげる。だから独覚でもただの独覚ではないらしい。

ちなみに声聞と独覚は後に大乗仏教から小乗として批判されてしまう。

仏陀が一般ピープルにちゃんと教えてあげるといっても、仏陀自身も自分の悟りを他の人に教えるべきか迷ったそうだ。教えても理解されないばかりか誤解されてしまうのではないか、と言うことをおそれたそうです。このことを考えて悟ってしまった日から49日間悩んだ。結局仏陀の慈悲により教えることにしたそうです。

つづく。

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