元気な日本を復活させる。
強い経済、強い財政、強い社会保障。

元気な日本を復活させると言う、しかし元気と言ってもただ単に元気であるというのはありえず、なにかに対する気力であったり勢いであったりするはずである。復活させるとは、以前のものを取り戻すということであるが、人間は過去のものを過去のもののまま取り戻すことなど望んでいないし、実現も出来ない。元気というなら何らかの目標を定めるものであるが、それがここにいう強い経済ということなのだろうか。しかし強い経済とは何だろうか?何に対して強いのだろうか?世界における日本のGDPのことだろうか?強い経済という言葉はこれ自体否定することの難しいものだが、その内容がまったくつかめない。

「第三の道」

この閉塞感を吹き飛ばすため、私は「第三の道」を選択します。それは、過度に財政に寄りかかった手法でもなく、過度に競争に偏った手法でもない、経済、財政、社会保障を一体として捉える経済政策です。
「第一の道」は公共事業中心の経済政策であり、それは高度成長期には時代にあっていましたが、その後は巨額の財政赤字を積み上げることとなりました。
「第二の道」は偏った市場原理主義に基づく経済政策であり、それはデフレを長期化させ、「企業は社員をリストラできても、国は国民をリストラできない」という根本的な問題を放置したため、国民生活は極端に不安定になりました。
政治のリーダーシップを欠いたまま、産業構造や社会構造の変化に対応できていない政策を続けた結果、経済の長期低迷、財政赤字の拡大、社会保障の不安定化が進みました。こうした過去の失敗に学び、新政権は「第三の道」に取り組みます。わが国が抱える環境問題や少子高齢化など、喫緊の課題への解決策。急速に成長するアジア、国内の資源を活かせる観光分野などへの積極策。これらが生み出す大きな需要に応えることで雇用を拡大します。そこから経済の拡大(強い経済)、財政の再建(強い財政)、社会保障の充実(強い社会保障)という好循環をつくり出します。日本の閉塞感は政策が招いたもの。だから、政策で吹き飛ばすことができます。「第三の道」こそが、その政策であると、私は確信しています。

政治にとって経済が欠かせない問題であることは間違いないだろうが、上に書いてあるのはただ単に経済合理性だけである。そこに必然的な需要がありそうだから、そこで雇用するば良いという。しかしそこで働く人間にとっては、その理由では小さすぎる。なんのために、ということが度外視されているからだ。労働を苦役とみなすのが西洋の考え方で、生活の充実はそれ以外のところで達成するということになる、ライフワークバランスという言葉は、仕事と生活を分離し、両者が別物のように扱うがこの分離も西洋の思考を基板にしている。

閉塞感の解決を経済、財政のみの問題として捉えていて、それは視点が違う。閉塞感の原因は2つ。1つは既成勢力が時代の精神に対応出来ていないにも関わらず、それを破壊する契機がないこと。もう1つは例えそれが実現できてもなお格差の問題が解決出来ないこと。民主党のマニュフェストにはどちらの問題も問題と捉えておらず、閉塞感は打破出来ない。

クリーンな政治の実現

民主党は「政治とカネ」の問題による政治不信をここまで払拭することはできませんでした。その点は率直にお詫びをしたいと思います。
鳩山前代表は後任となった私に「とことんクリーンな民主党に戻してくれ」と託しました。私はこの思いを正面から受け止め、民主党結党の原点に立ち返って、カネのかからない、クリーンな政治の実現に全力で取り組みます。まずはできる限り早期に、企業団体献金の廃止、議員定数の削減などを実現し、国民の信頼を回復する第一歩としたいと考えています。

クリーンと言えば聞こえはいいし、そうしなければならないところがあることは否定しようがない。しかし現実がクリーンでないとしたら、一体どんな力でそれをクリーンにできるのか。どの法律も犯さず誰にも憎まれないようなやり方で現実を変えることができるのか。この言葉は諸刃の剣となる。

「国のかたち」を変える
わが国は明治維新、戦後という大きな変革を経て「国のかたち」を大きく変えてきました。そして今、私たちは新たな「国のかたち」の変革を迫られています。
対外的には、日米同盟を基軸としつつ、アジア諸国との連携を強化することが重要です。EPA・FTAに積極的に取り組み、人やモノの交流を活性化させ、特にアジアを中心とする経済の活力を国内に取り込んでいきます。文化や芸術の面でも交流を加速し、世界に開かれた日本をつくります。
国内では、大胆な地域主権改革を実行します。地域主権改革は地域の自立を促す改革であり、そのために権限や財源の移譲に取り組みます。地域のことは地域で決められる仕組みをつくることで、明治以来の中央集権体制を改めます。
鳩山内閣から受け継いだ「新しい公共」は、これまで役所の仕事と思われていた「公共」を広く多くの国民が担う、新たな社会づくりの提案です。全ての人が社会に参加し、人を支え、人の役に立つチャンスがある社会。その中で誰もが孤立化することなく、自らの存在を確認し、そして社会の一員として責任を担う。そのような社会の実現をめざして、NPOなど公益的活動の支援、地域への権限移譲、官民の協働関係の構築などを進めていきます。

何のために国を開くのか、と言う問が無視されているので何をいっても空しくなる。ただ単に経済的な要請があるからとしか聞こえない。開くことと言うのは同時に閉じることでもある。開いてすべてが同じになってしまっては意味が無いはずだからだ。

批判的なことを書いたが、民主党には期待している。自民党は最初保守だの言っていたがいつのまにか言わなくなって、最近では菅氏のことを左翼政権などと呼んでいる。ここに書いた通り菅氏は現状肯定的であって左翼的思考はない。知的劣化が甚だしいし、河野氏は河野氏で自分の復讐のために自民にとどまっている感じだし、みんなは役人をただ悪としてしかみないバランスの欠けた思考であり、社民や共産は自らの理想を示せないからだ。民主党は党内に反対派もおり、自民党のように憎しみに凝り固まってもいない。

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