ヘーゲル閣下脱出学

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我らが哲学の王様ヘーゲル閣下なのだが、彼はリア充であり愛国者であるので、しかも排外主義的なので日本人としては最終的には脱出しなければいけない存在である。

弁証法を機軸として

正反合とは誰の言葉か知らないが、少なくとも閣下の弁証法にはそぐわない言葉である。しかし説明上好都合なので使う。閣下の弁証法では正と反が悟性的運動の中で言ったりきたりする、これを悪無限という。なんで悪なのか?同じことの繰り返しでしかないからだ。ではどうやってその悪から逃れるのか?飛び越えることによって。これが合。しかしここで注意すべきはこの合は正反とは論理的繋がりがないということが可能なことである。これを歴史を見るときに当てはめると閣下のような愛国者の場合、自国の方へベクトルを向けそこへ導くように思考を展開できる。重要なのはこのとき正反合が概念としてそれ自体の中で行われていること、これが閣下の弁証法の特徴である。それ自体の中で正反合が展開されればそれは自由ということになり、その無限展開は同じことの繰り返しではないので真無限となる。

ここから分かるように閣下はアジアを馬鹿にしたり仏教を馬鹿にしたり漢字を馬鹿にしたりしているが、それは閣下の論理の中の展開として行われているわけではなく、その論理から外れたものを馬鹿にしているだけで、その論理も初めからベクトルが決まっているわけだからそうなるのは当然なのである。だから我々がヘーゲルと同じ権利を持って漢字こそ歴史をもっともよく保存している文字であるということもできるのである。

仏教は空を基礎として無我までいたる哲学である。閣下の論理の展開は有から始まる。しかし始まりを定めるには現時点から降りていくことを最初に体験していなければ不可能なのであって、有を始まりに措いて、とりあえず有と名づけてみたといっても、思考としてはそこに降りていく過程がなければそういうことはできないのである。降りていかなければそれが始まりであることを知ることもできないものなのである。

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