民主党政権が誕生してから動きを見て、その肯定的側面も否定的側面も見えてきたように思う。だがその前に民主党誕生の歴史的地点ということを考えて見たい。

かつて日本に日本資本主義論争と呼ばれる論争があった。日本の当時の現状をマルクスの視点から照らし合わせて、日本がどの段階にいるのかの認識の論争だ。二段階革命論はブルジョア革命が起こってから共産革命が起こるとするもので、その視点で見れば民主党の動きはブルジョア革命と呼ぶことができる。ブルジョア革命が倒すのは封建制社会であって、世襲的な偉い人が権力をもっているような社会であり、そこから生まれる不平等感ということができるだろう。

「自民党をぶっ壊す」とか事業仕分けがうけるのは、日本人が感じるこの不平等感を打ち壊している快感に由来するものだと思うし、これは経済合理性とも相性がいい。しかし一方その経済合理性だけでは自分の日常はよくならないと感じているのが労働者であって、民主党はこの期待に答えられていないし、答える約束もしていなかった。とはいえ自民党時代の反省から経済成長絶対主義みたいな姿勢は示していないが、これも崩れつつある。

それともうひとつの民主党の軸は民主主義を推し進めるということである。推し進めるといっても制度的にではなく人々の認識のあり方としてである。鳩山首相は常にそのことを意識して発言しており、ここが自民党が知覚できていない点であり、迷走している点である。

理想から言えば、事業仕分けなどで経済合理性を追求することは、その封建的性格を除けば目指すものとは反対だろう。目指すべきは、公務員が予算をたくさんもらっていい思いをしているなら、国民全体もいい思いができるような社会である。これを温情主義などと言って批判するのは、それが民主主義的に達成されるという条件を見落としている。

民主党にはここまで期待はできないし、共産党などは建設的野党などと言いつつ、いまだ何も建設的提言をしていないただの従属or批判政党だから期待できない。自民党は未だに反省=悪と考える封建的精神から脱却できないから期待できない。

とはいえこれまで書いてきたことで足りないのは日本という国としてのありかただ。つまりこういう言い方は全部西洋的基準なのでどうしても不満が残る。しかし日本人にとってこの問題は難問だからいまではその萌芽すら存在しない、がグローバル化という一元だけでを推し進めればそれだけこの問題は大きくなる。本来こういう問題に答えるのは右翼様の役割なのだがどうしようもないバカばっかりで話にならない。

民主主義を推し進めるとは個人のレベルで見ればより自主的になるということである。と同時にそれは他人のなかにも自主を認めることになる。民主党政権が誕生してからネット上の差別的言説が減ったのはこのことと無関係ではないだろう。しかし右よりの人はそのことに気づいていないし、個を増長させすぎなどとまったく正反対のことを言っていてまるで話にならない。

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