新自由主義で人々はより価値を生み出すようになったのか?この問いに答えるには価値とはなにかをまず考えなければならない。とりあえずは以下のように言える。「価値とは人間の何らかの欲求を満たす物事」のことと。しかしこれだと、空気なども価値となる。経済的な価値を考えるには通常これを使用価値と交換価値に分ける。

交換価値を生み出すのは労働だ。これは間違いないだろう。では競争渦巻く新自由主義の中で野望をもつ人間が考えることはなんだろうか?価値を作ることだろうか?そうではないと感じる。むしろ人の作り出した価値をうまく利用することによって、と言えるのではないだろうか。

ネットの世界を見てみよう。まずGoogle。一年中クローラを動かし、インデクスを作成し、検索機能を提供する。なおかつ人の作ったコンテンツを自身のサーバにキャッシュとして保存し、それを提供する。

Youtube。表立っては著作権に配慮しつつ、実際には有料コンテンツの違法な提供によりアクセスを得る。

上記のことを批判的に書いたが、これらが不必要といっているわけでも全否定しているわけではない。あくまでこういう側面があるということを言っているに過ぎない。

だれしもが新自由主義の荒波の中で野心をもって行動できるわけではない。人間には生まれながらの天性があり、こういうことにまったく興味を感じない人間もいる。否、そういう人のほうが多いのではないか、とも感じる、とくに日本では。

ではこういった荒波の中で、律儀に価値を創造している人は、そしてそれを奪われていると感じている人はどうなるだろうか。やる気をなくすと思われる。もちろん奪われているなどとは思っていないかもしれない。しかしなんとなくそんな感じがする、位の感覚は持つのではないか。

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