児童ポルノが社会から排除されていくのは自然の成り行きだろう。しかし国会のやり取りを見ていても本質的なところが話されていない感じがする。子供というのはまだ自分の意思決定に対して責任を持たなくてよいので子供なわけで、逆に言えば本人の意思決定を強制できる。また子供というのは自ら意思決定が可能になる大人になるまでの成長過程ともいえる。心理学的な用語で言えば無意識の育成過程が子供、PCで言えばハードウェアを組み上げるのが子供。ハードウェアさえしっかりくみ上げれば、そこで動くソフトウェアがおかしなことになってもやりなおしが効く。全消去して最初からやり直せる。しかしハードウェアがおかしいと交換するしかなくなる。

性的な問題は基本的には私秘的であり、そうでない関係を経験することは生涯において影響を及ぼす可能性がある。だから育成過程の子供がそういうことを経験すると無意識レベルで修正困難な問題を起す可能性がある。そういうことは社会的に防いでいかなければならないと考える考えがより大きくなってくるだろう。それは自由の増大にもつながる問題で、自分のことを自分で決めるその前提が侵害されてはならない、というわけだ。

だから、規制の目的は一義的には人間の自由の保護にあり、ロリコンが気持ち悪いから罰するわけでもないし、虐待されている子供がかわいそうだからというその時だけの問題でもない。国会では子供の人権という言葉がよく使われていたが自分の人権理解からすると、子供には不十分な人権しかないと考えられ、むしろ人権形成の時期と考えるほうが自分の考えに当てはまる。

猥褻の定義の問題。法的に言えば「性器と肛門と乳首なんです。」などと誰かがいっていたが、この問題はこういう風に悟性的に切るとおかしくなる。ある程度のあいまいさ、正確に言うとそのときの人間の思考に決定される、という要因を含んでいなければならない。前の定義で言えば性的なものは私秘的だから、そして何が私秘的かは時代によって変わるからだ。じゃー鼻の穴はいいの、とかわきの下はいいのとかになったとき困るだろう。

宮沢りえさん。実は近頃出産したそうです。だからサンタフェの名前を当たり前のように取り上げていたが、この時期どうなのか?

自民案と民主案。枝野さんの考えが自分の理念と近いと感じた。自民党人はなぜこの規制が必要なのかという思考のところで何を考えているのか見えてこない。他の国から文句言われているからどうにかしましょう的なものしか感じない。

官僚の問題。官僚にとってはこういう規制のあいまいさを最大にして自らの権力の最大化を考えているように感じる。だから官僚コントロールの視点では先の話と矛盾する。自民党にはこの矛盾に向き合う姿勢が見えない。

ネットの反応。単純所持は許されるべきみたいな考えが多い。自由という視点では日本は所詮このレベルなのだろう。まだロリコンが多い。自由な人間と関係をもてない。タイトルの言葉はネットで見つけた名言。

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