自殺、ストレス、労働

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日経BPに興味深い記事が出たので感想文。興味深いとは2つの意味で。1つは日経らしくないこと。もう1つはあんまりみない視点であること。

1ページ以降は見れないが、このページにリンクされているPDFを見れば、これを表現を変えているとはいえ日経が発表することは特異なことであるだろう。

数学的アプローチとしては上記の方法とは違うが自分も似たようなことを考えたことがあった。一昔前エリート教育ということが言われ、日本にはエリートがいないと言う声がよく聞こえた。アメリカや中国のように日本もエリート教育をすべきだというのだ。しかし、1人のエリートを作るのに100人のバカをつくらなきゃならないとするなら、そう簡単にエリート教育などとは言えないだろう。

自分の考えた数学的アプローチは、まず頭の良さは正規分布するとし、教育力を一定とする、そのグラフのある範囲(これを教育力とする)で積分した値が、教育の成果となる。エリート教育とは、その範囲を右にずらす(あるいは一部を切り取って右に持ってくる)ことになり、当然正規分布は普通は真ん中が一番多いから、真ん中から左右に動かせば積分値は低くなる。つまりエリート教育をすれば、全体としての成果は下がる。もちろん弱者救済教育も同様になる。

この話と元記事の関連の話はよくわからないし実り薄なのでスルーするとして、労使がこの考えに対してどういう反応をすればいいのか困るだろう。労働側は普通に喜ぶかもしれないが、これは生産性を基準にしているから、これが達成されてしまうと労働側のやることがなくなってしまう。

マルクスは「労働は人間の本質」みたいに言っていた。しかし労働という言葉は苦役みたいに考えられている。資本主義社会では労働=賃労働を意味するがマルクスの場合は当然それよりも広く、家族を超える部分の人間関係すべてを含むものだろう。労働がますます苦役になり、社会との関係を断たれた人間が増えている現在、労働のあり方が問われるようになってきた。

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