政治家たちが幸福幸福いいすぎていい加減にしてほしくなってきたのだが、なんかすごいのが来ました。
「幸福の科学」には何の恨みも否定的感情もありませんが「幸福実現党」という名前は政治的にはナイーブさがにじみ出てますね。簡単に言えば「あなたたちの考える幸福は俺にとっては幸福でもなんでもないどころかむしろ不幸だ」ってことは容易に起こりえるからです。
麻生さんも「安心実現会議」だかなんだかアヤシイ名前を使っていておなかいっぱいなんですが、とはいえ人々が「安心」を感じなくなってきていることは事実でじゃーどーすればいいのかってことでなかなか困っているのでしょう。
ところで幸福といって思い出す言葉が、「最大多数の最大幸福」ですがこれもずいぶん歴史的時代的に限定された言葉だなぁ。まぁイギリスだし、こんなもんか?知らないけど。だからいえるとしたら「最大多数の最小不幸」くらいなのでしょうか?不幸って言葉も今一だから「最小苦痛」、位にしとけばいいかな。
いずれにしても、幸福とか安心とかを考えるにはかなり大きく考えないと、民の納得を得るのは難しいでしょう。自民党はすごく軌道修正してますが、その土台となるところはいじるつもりがない。それどころかそれが土台であること自体に気づいていないのでないか、という不満があるのだと思うが、それを無視することしかできないでしょう。ここで言う土台とは資本主義のことなんですが。
だからそんな土台の上で安心だとか幸福だとか言っても全然信用できないんですね。安心が実現されたかに見えたが、他のところに埋め合わせが行って全体として安心になってねーじゃねーかとか。だからもっと根本的に考えないと駄目で、自民の会合を見てると全然考えてないです。だったらいっそうのこと政治は「安心」など考えないと言って貰った方が落ち着くのですが、そういうこともできないようです。