おもしろい論文を見つけたので勉強をかねて紹介。オーストリアのウィーン学団の哲学(論理実証主義)がいかにアメリカの経済学に影響を及ぼしているかの論文。なぜこれに興味があるかといえば、現在の世界の苦悩を作り出しているものの根源を調べるためには、その影響力が大きい経済学をしらべる必要があるからだ。

(ここから要約の要約)

統一科学の国際百科事典(International Encyclopaedia of Unified Science)はウィーン学団(Oノイラート、Rカルナップ、Pフランク)とアメリカプラグマティスト(Jデューイ、Cモリス)が推進してきた(1938~1969)。この中で進められた経済理論は論理実証主義や新経験論から出てきたもので、彼らが共有する哲学である。

アンシュルツ(1938、ドイツナチス党によるオーストリアの合邦)以後、多くのオーストリアの学者がUSAに渡った。その中には2つの主要な科学の学団であるウィーン学団(Vienna Circle, Mシュリックにより1922設立)と数学会議(Mathematical Colloquium, Kメンガーにより1928設立)に所属している学者もいた。

1930年代のウィーン学団の哲学者たちは、新経験論の究極の目標として統一科学(Einheitswissenshaft)を追い求めていた。ノイラートによれば、これは科学を律するための”超科学”ではなく、形而上学的な問題を避けるため、科学の言語を統一するためのツールと考えられていて、形而上学的問題を避けるためのものであった。モリスなどは新経験主義(論理実証主義)とアメリカプラグマティズムの結合を強調していた。

ノイラート、カルナップ、モリスは共同でプロジェクト統一科学の国際百科事典(International Encyclopaedia of Unified Science)を組織し、統一科学のための国際会議(International Congresses for the Unity of Science)として、1934にヨーロッパ、1939にUSAでそれぞれ実現した。アルファベット順に並んで、項目間の関連が示せない他の百科事典とは違い、国際百科事典は科学間の論理的相互関係(logical interrelation)を提供する。各巻は特定の科学のために割り当てられ、それがどの程度科学的経験論(scientific empiricism)を表しているかを提示するものでもあった。経済学の巻は30年後の1968年に現れた。

最終段階において、国際百科事典の経済経済理論は計量経済学(econometrics)と数学経済学(mathematical economics)として示された。この2つは第二次大戦後、経済学の主流となる。これはノイラートがもともと意図していた統一科学とはまったくの別物であった。数理経済学とウィーン学団の関係については、Kメンガー(数学者、オーストリア学派を設立したCメンガーの子)が重要である。というのも彼の数学会議で、数理経済学は展開してきたからだ。メンガーはウィーン学団と近いところにいたが、百科事典に与することを拒んでいた。メンガーと数学会議はヒルベルトプログラムを経済学を含む社会科学に適用する必要性については同意していたが、かれらの哲学的地平はウィーン学団の新経験論とはまったく違っていた。その上、かれらは統一科学に対してとても批判的であった。これらがかれらを国際百科事典から遠ざけた理由である。

逆説的にも、国際百科事典の経済理論はノイラート流の政治経済よりメンガー流の数理経済学に近かったのだ。

(ここまで要約の要約)

百科事典などと言われると自分の場合はまずヘーゲルのそれを思い浮かべます。実証主義では形而上学が排除されますからヘーゲル的な意味不明のものは排除して自分たちでやってやるぜ、という感じがします。と同時にこの時期はオーストリアはドイツに併合されて、彼らはアメリカに逃げてきたので、ドイツに対する恨みもあったのかもしれません。ただ歴史に詳しくないからよくわからないけど、とりあえずもう少し読んで見よう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です