324事変の余波

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324事変は間違いなく日本の歴史に残るものであるが、現実は理想どおりに進むものでない。ここでいっている歴史は個人の生涯が点としてしか示されないほどの長い歴史から見たもの、という意味を含んでいる。

その根拠は、人間は自由を求めるということであるが、人間にとっての最高の自由とは、自らが決めた規律を自ら遂行する、ということだからだ。現在の国家は憲法を見れば明らかなように、日本人が自ら決めたものではない、いくら優れたものを与えられても、それを自分で作れなければ改造もできないのであり、真の意味で自分のものではない。

324事変についての多くの感想は、小沢氏を支持するものは匿名で書かれたが、上のような自由を求める内容を含んでいる。なぜ匿名でなければならないか、そのひとつの理由は上で書いたように、短期の物語ではないからであり、それゆえ自分の生涯をかけなければならないものだからであり、そんな勇気を個人に求めるのは無理な要求である。もうひとつの理由は、日本人は日本を自分のものと感じていないからであるが、それは実名で書いている人にとっては、自分の理想を素直に表現できない、ということからよくわかるだろう。実名で書けるということは、批判の形をとるか、国や学問の機械的解釈によって守られるかのものだからであり、今回の事件はそれを越えるものだからだ。もちろん匿名で書くということは、個人の憎しみや感情の直接的な表出も許すものでもあるが。

共産党の議員までが、彼らは自らを「確かな野党」などと位置付けているが、今回のことに触れ、”法律の根本精神を捻じ曲げる”として小沢氏を批判した。彼らは理想が高すぎるなどということもできるが、高すぎる理想などは現実と無関係である、階段は一段づつ上るから上へいけるのであり、それが高すぎればただの壁にしかならない、彼らは現実を放棄したと見なされても仕方がないのである。

憲法について書いたので、一応書いておくが、この憲法は日本にはおろかどの国に対してもできすぎたものであってとても弄繰り回せるものではない、教育基本法に「愛国心」を乗せようとするようなルソーすら驚かすほどの人間ならなおさらだ。子供に精密すぎるおもちゃを与えると壊してしまうように、今の日本人が下手に憲法をいじると壊してしまう。今はこの憲法がどのようにできているのか分析し、同じものを自分達で作れるようにする時期だろう。この憲法ができて、60年以上がたち、多くの人間はこの憲法とともに自らを作り上げた。よってこれを破棄してしまうことは自分自身を破棄することと同義なので当然これもありえない。

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