日経ビジネスオンラインで、荻野進介氏の書評を読んでの感想文。といっても後半半分はログインが必要らしくて読めなかったが・・・
日本の現状を見て、労働者を強くすることで打開をはかっていこうとする人々が多い。氏曰く。
過去の、それもフィクションに現実を投影する暇があったら、いざとなれば、自分たちの身を守る最大の武器となる労働法規をしっかり学んでみたらどうだろう、とでも言いたくなる。
2つの側面からこれを批判したい。
1、日本はヨーロッパやアメリカじゃない。
欧米は革命の国だ。革命で自分たちの国をつくり、そしていまその世界に住んでいる。闘いによって社会はよくなると信じている国、と言ってもいい。日本は違う。天皇をやっつけたことはないし、明治維新にしたって高々クーデターレベルで庶民の闘いじゃない。
この人たちは労働者を精神的、理論的に強くし、健全な資本vs労働の対立をもって、社会を発展させていくと言う考えと思われるが、歴史的に見たって日本人がこんなことを考えたことはないと思われる。このような歴史的、民族的な前提を無視して、欧米のやり方が健全、と言う考えには素直に賛成できない。
2、サービス業の増加
経済は分業を繰り返し、人間の関係はどんどん希薄になっていくと考えられたときがある。仕事は単純化し効率が上がる。しかしこれは一部の労働の現場の話だ。サービス業では職場の仲間と協力して作業する。作業はなかなか単純化できないどころか、一人一人が全体を見渡したほうが、システムとしてより強固になる、というと言い過ぎかもしれないが、そういう側面はあると思われる。
そんななかで対立するべし、ということはなかなか常識に合わない。常識を理論でもって覆す、というやり方は日本的じゃない。
だからといって、労働法規を学ぶ必要がないといっているわけではない。しかし日本人は法律など対して意味があるとは思ってないのだ。気にすることは現実の権力が法律違反にたいしてどの程度動くかであって、学んだところでたかが知れてる、と考えるのが普通だ。
じゃーどうするのがいいのか?また今度考えよう。