醜形恐怖なる言葉がある。自分の容姿を気にしすぎて、社会生活が営めなくなってしまうという。10代女性がよむ雑誌にはプチ整形の広告があふれ返る。
昔、容姿端麗という言葉があった。企業の求人広告などで使われていたらしいが、それが差別だということでいまではこの言葉が使われる機会はない。だが現実はどうか。ファミレスにいっても出てくるウェイトレスは美人ばかり、テレビの新人アナウンサーをみても美人ばかりだ。
つまりどんなにアナウンサーになりたいと思って勉強してもブスってだけで足切り(予備選抜)されて落とされているということ意味する。もうブスは人前に出てくるなっていう社会になっている。ブスだけじゃない、男だったら若ハゲか?
このまえ建築現場で若い女性が働いているのを見た。飛び跳ねたペンキを髪の毛に染み付けながら作業していた。彼女は好きであの仕事をしていたのか?常識では考えにくい。それしか働き口がなかったのではないか?
小泉首相が以前言った。選ばなければいくらだって職はある、と。彼はこのような状況をも想定していっていたのか?
な ぜ日本はこんなことになってしまったのか?アメリカを見てみればブスだって生き生きしている。この問題を社会的に解決していくのは骨が折れると思うが個人 レベルでなにができるのか。まず、美人のアナウンサーが出演する番組は見ないということか?。私個人はテレビは不快なことが多すぎるのでほとんど見ていな いが。
オタクにも問題がある。アニメやアイドル萌えるはいいにしても、アナウンサーは違うだろって考えなくちゃいけない。