自民党が憲法案を修正も撤回もしない(1)

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自民党憲法案については様々な観点から批判され、そしてその内容ゆえにそれらの批判はほぼ正しいのだから自民党は修正や撤回をするかと思っていたのに一向にしないしそれらへの反論にも消極的で国民を如何に騙すかのような態度をとっている。非常に残念だ。国民国家であるからには憲法の議論は国民的であるのは当然なのだから批判には真摯に答え修正してほしい。しかし現状内閣の支持率は高くこの憲法案が本当に憲法になってしまう恐怖もあるのでそうなる前に自分なりの批判もしておこうと思う。対象は2冊、一つは憲法案そのものともう一つはそれとともに公開している「Q&A」だ。

Q&Aから

現行憲法は、連合国軍の占領下において、同司令部が指示した草案を基に、その了解
の範囲において制定されたものです。日本国の主権が制限された中で制定された憲法に
は、国民の自由な意思が反映されていないと考えます。そして、実際の規定においても、
自衛権の否定ともとられかねない9 条の規定など、多くの問題を有しています。

歴史はどこで区切るかによってどうとでも評価できる。いきなり占領下から始めれば無垢な日本に悪事をつくしたアメリカという印象をもつことを想定できる。先の戦争の反省は安倍談話で出しており、ポツダム宣言も受諾している。その反省に立って憲法を考えないならば戦前への交代とみられても仕方がない。

戦前からみればあの戦争を起こしたのは日本であって、その結果ポツダム宣言を受け入れたのも日本なのだから主権が制限されるのは自業自得である。そうした業を負いつつもそこから逃げることなくこの事実と辛抱強く付き合い知性でもっで乗り越えるのでなければ新しい憲法にはふさわしくない。

9条の細かい話はおいて、この条項ができたのかといえばこれも過去とのつながりで理解しないとならない。軍閥政権の下で力でもって物事を解決しようとしたその結果の敗戦であり、そうした体制の雰囲気が残る中での9条なのだ。それならば9条を改正するにあたって過去の乗り越えはどうしても必要である。安倍談話によってそれはなされたはずなのにこういう書き方しかできないのはまだそれが浸透してない証拠であり、憲法改正の時期は早いといわなければならない。

平成22 年に発表した党の「綱領」においても、「日本らしい日本の姿を示し、世界に
貢献できる新憲法の制定を目指す」としています。諸外国では、現実とのかい離が生じ
れば憲法を改正しています。

憲法が国の形を示し、それが世界に通用するものにすべきだという理想は正しい。そうであるならば他国の理念にもそれが優れたのもあるならば、それを取り込んでいくということも正しいはずである。自民の憲法案には前者しかない。自民党には何もかも自分たちでやらなければ価値がないと考えているところがあり、もしそういうことを言うなら漢字だってなんだってダメになるのだが、他のものが優れているならそれを取り込もうという意思がない。これは一般的に中二病と言われるもので世界のすべてを自分の思考で解釈してやろうというものだ。そんな中学生もいつしか社会のルールを知り国家のルールを知りその中で自己の自由を実現する。国家も同じである。自民党はまず自らの憲法案を誇るのだったらそれをどう良くしたのか、その違いを、それが乗り越えたものをしっかり説明すべきだ。

また、前文は、いわば憲法の「顔」として、その基本原理を簡潔に述べるべきもので
す。現行憲法の前文には、憲法の三大原則のうち「主権在民」と「平和主義」はありま
すが、「基本的人権の尊重」はありません。

現憲法97条を読めばわかるように人権と自由の関係は記述してあり、人権とは自由の成果なのだから、そして憲法は成果に安住するだけではなくさらなる成果の土台となるべきものなのだから前文に書くのは人権ではなく自由が適当だ。ちなみに自民党案では97条を削除した。恐るべき後退と言わなければならない。

特に問題なのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生
存を保持しようと決意した」という部分です。これは、ユートピア的発想による自衛権
の放棄にほかなりません。

暴力を世界からなくすというのは人類が掲げるべき理想であって、それをユートピアと呼ぶのは視野が狭い、目指すものが低い、とても世界に貢献できる憲法を記述する資格などない、と言わなければならない。平和を愛する諸国民の正義とは例えば国連である。日本はアメリカを信頼している。これをユートピアと呼ぶならば日本一国で他の全世界と戦える武力を持つことを宣言するに等しい。

あまりにひどい出来で書いていたらイライラしてきた。ここまでにして、また続きを書こう。