吉本隆明と原発

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吉本隆明と原発のテーマ。ネット上にはあまりまともな言説がない。しかし言われているよりは哲学的領域、吉本の基本的認識の領域が含まれている。
結論から書けば、人類はそれが危険だからという理由で何かを封印できたことなどないということ。それはなぜか、そこに吉本の態度の答えがある。

よく言われる言説、人間と動物の違い、人間は自分自身を見ることによって人間になる。しかしこれだけではない。精神が精神自体を見るという循環構造が維持されるためには、単なる反復ではなく、しかも単なる変化でもなく、反復の中からの変化でなければならない。文化も人間も常に進展するのは、進展がなくなれば精神が必要なくなること、人類滅亡を意味することになる。吉本の原発推進の話はここまでの射程はある。彼の言う原発推進は単なるべき論ではなく、いつか人類はその危険性を克服するということ、さらには原発自体を克服するということ、それに逆らっても無駄だということ。技術や自然に対する知はは常に展開するのだから、そうでなければ人類が終わるのだから、いつかは克服されるという視点である。

これに対する対抗はニーチェの超人、ポストモダンの戯れ。しかしそれを徹底させることは精神を捨てることになる。よって維持する手法は忘却すること。しかし忘却は意思によってはできない。なぜか。精神の成果は頭の中だけに存在するわけではなく、それを外部の自然に刻みつけるからだ。それを拒否するなら、活動は禁止され、外に対する表出さえ禁じければならなくなる。

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