橋下批判

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朝まで生テレビを見ていたら、東浩紀とかチノさんとか若手の論客の人たちが橋下市長を肯定的に捉えていて以外だったので、否定的側面も記述したい。

まず、日本の衰退の原因は経済的衰退が原因であるが、経済の衰退を原因と結果のなかでどのように位置づけるかという知的作業は十分になされていない。当の経済学がこの問題からは逃避しているため、政治家は解決の拠り所を見つけることができず、場当たり的な政策しか示せない。

およそ自性的活動をするもので永遠に活動できるものはなく、連続的なすなわち形式論理的な運動しかできないものはいずれ死を迎える。これは人間に肉体にも当てはまるし、市民社会まかせの経済にも当てはまる、この死から逃れているのは論理の飛躍を成し遂げられるものだけであり、それは精神的なものだけで国家や概念である。

哲学でも仏教でもこうした死生観は共有されているはずであるが、資本主義、市場経済は一部の人間の考える自由のもっとも高い形態としてイデオロギー的に固定されており、その真実は明らかになっておらず、当の経済学がそこから抜けだそうとしないために、逆に市場経済を永遠のものであるべきだ、という述語になって現れている。

学的基礎を欠いているが、焦燥感やエネルギーはあるために政策がどういう方向に向くかは偶然的でしかない。しかし経済を回復する条件としては国家が支配的に乗り出すことでしかありえない。今この問題に対してもっとも正しいアプローチをしているのは、中野剛志の先生の京都大学の浪花貴風のあのおっさん教授である。

政府が介入することによる一般的に広まっている誤解は財源が必要ということであるが、国家には強力な権限があるのであるから、規制強化だけでできるのである。

橋下市長が何をするのかは偶然的であるが、今までしたことは行政改革と労組いじめである。しかし問題は経済改革であり、これは特殊的なものにすぎない。おおまかに言って彼は新自由主義的思考の持ち主であるから、国家的レベルでは彼の改革は失敗する。しかし地方的に見れば成功と見られるような成果を残す可能性があり、これが日本の本当の復活を遅らせる可能性がある。

彼の企業優遇政策により大阪に企業が集まることにより、大阪が経済的数値で見ればその規模を拡大することから始まる。しかしこの誘致は多くは国内での移転でありゼロサムでしかないようなマイナスサムである。これが大阪の成功と捉えられ、他の各地方または中央がこれにならい、そのために国家的には大きく停滞するという道筋である。

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