目標の手段の独立性

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目標と手段の独立ということがよく言われるが、ことはそれほど単純ではない。このことを例えて次のように言う人がいる。「タクシーで言えば、目的地を告げるのは客で、ドライバーは運転をして目的地にたどり着くのだ」と。しかし目的と手段をはっきりと分けるとすれば、この言い方では不十分だ。というのも目的を定める客がすでに手段であるタクシーについて知っているからだ。だからもっと正確にやろうとすれば、客の目的は移動というものに固定されて手段の知識があってはならない。そうすると客は「アメリカに行ってくれ」とか「このビルの10階に行ってくれ」ということもできることになる。タクシーの運転手にこういことを言ってもしょうがないが、それの実現に責任を取らされるということになれば、どういう事になるかはわからない。

このように、目的と手段は切り離すことのできないものだ。だから日本でもアメリカでも、中央銀行の政策は一見切り離されているように見えて、実はちゃんとくっついている。

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