ベーシックインカム

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ベーシックインカムの実現した社会を考えると、そこではもはや人々は飢餓や生存の恐怖から、程度の差こそあれ、ある程度開放される。その結果単純作業をしている労働者は仕事をやめ、その結果それらの賃金が上がる。価格が上がる。衣食住ガス水道鉄道(必需)の価格は上がり、想定していたベーシックインカムの最低価格を上昇させなければならなくなるかも。知れない。一方賃金の上昇により、それらを機械に置き換えることが要請される。

となれば労働力の価値はどう測られるのだろうか?それが個人にとって自己実現に結びつく度合いによって、つまりその労働に自分の精神が同居できる度合い、精神を投入できる度合い。10%しか精神投入できない労働は50%精神投入できる労働の5倍の賃金が必要になる。これは単純すぎる計算だがプラスの傾きをもつ傾向で表されるだろう。

しかし必需的な単純労働は一定期間は誰かがやらなければならないから、それは最終的には徴用が必要になるかもしれない。とはいえそれらの生産設備は国のものではないのだから簡単にはいかない。

一方芸術的創造は交換価値を持ちえなくなる。それらを創造し流通する手段はもう個人の手にあるからだ。

企業の側ではベーシックインカムの実施により、その分だけは賃金を下げてもよい、という道徳的な影響を受ける。

結論としてはどうなるかわからない。よって政治的には限界に来るまで実現されない。かな

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