国体の本義 感想文

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国体の本義読んだ。

日本としての日本、日本から生じる日本、日本のことだけで日本を説明しようとする情熱であふれています。西洋は個人主義だけど、日本は違うんです。家族なんです。そしてその延長の天皇なんです。みたいに言っています。

最近自民党が保守だ保守だと騒いでいますが、まったく中身のない、どこに持っていってもそれなりに通用するような言い回ししかできずにいます。保守と言ってもその体のいい定義を述べているだけみたいな感じです。せめてこの国体の本義のように日本中心に考えなくては人々はそれに情熱をもつことはできないのではないでしょうか。

個人主義ということばは今も否定的に使われていますが、この言葉は哲学や思想の文脈ではあまり出てこないと思います。そのせいか背後に体系がなく、単に「わがまま」みたいに使われています。

個人なんていう概念は人間にとって当然過ぎるので、問題は個人か否かではなく、どのように個人が生まれるかとか、個人のありかたはどう決まるかとか、個人は何をするかとか、だと思います。

国体の本義の弱点は、個人と家族を敵対させて、その関係を論じていないこと、さらには社会との関係を論じていないこと、天皇との関係を一方的服従としてしか論じていないことだと思います。あるいはそこからの和解の道が示されていないことです。

また西洋には対抗していますが大陸の概念と思われる忠とか義とか孝とか多用しています。忠として天皇を見ることもしていて、それは天皇が神ではないという視点も含まれています。漢字を使っておきながら大陸の概念を捨象することはやはり無謀と考えていたのでしょうか。そうならば、今となっては西洋を捨象することも無理です。

和という概念もやっぱり出てきました。大事だそうです。ただやっぱり大事だ大事だというだけで、それがどのように日本の中で行き続けてきたのかが書かれていません。この和を日本の歴史を貫くキーワードとして日本のあり方を示し、すわなち和そのものの展開を示して、様々な困難の中でいかに和が自らを陶冶してきたのかを記述するのが保守が示す日本の一つのあり方だと思います。

江戸時代で中国に学ぶのをやめましたが、今となっては西洋に学ぶことはもうないように感じます。学問にしても文化にしてもです。あとは政治が自らに自身をもってもらって、あの国ではどうだとかこの国ではどうだとかいうのを止めてもらって、保守としてのあり方を示してもらえるでしょう。

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